禿生海峡冬景色

山形在住【食いしん坊中年男子】の平穏な日常に突如襲いかかる妻や愛猫の嘔吐!そしてその内容物について…

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食事制限

2010/12/01
朝7時起床、定時出勤定時退勤。退院後ジュンは、毎晩ベッドに入ってからペタペタと結構な時間をかけてブログを書いている。内容的に「大変であってもポジティブシンキングで頑張ってま~す」みたいな雰囲気のものが多く、それはボクから見えるジュンの闘病風景とあまりに掛け離れているよう感じたので、昨晩思わず「もう少し苦しんでる事も書いてみたら?」と提案した。あまり、辛い辛い連呼してるのも読む人を不快にさせるだろうけど、不安や苦悩を全部隠してしまうのも実際の自分と違い過ぎて、どんなに治療の事を詳しく記しても逆に嘘くさくなってしまうのでは?と思ったのだ。と同時に「ボクは自分のブログには、思い切り手術前後の辛さにピントを合わせて書いてみよう…」と閃いたのだった。

2010/12/02
朝7時起床、定時出勤定時退勤。ジュンが「生理がいつまでたっても終わらん…」と不安がってる。

2010/12/03
朝7時起床、定時出勤定時退勤。生理がおかしい事をジュンがブログに書いたら、同じ手術の経験者さんから「私も同じような感じだった」と体験談コメントをいただき、ホッとしていた。こういう時は、ホントに心から「インターネットばんざい!」と感謝の気持ちでいっぱいになる。まだ国内で200数名しかいないという、ジュンの手術の経験者が5人もネットを介して声をかけてくだすってるのだ。ジュンだけじゃなく、ボクにとってもどんなに心強い事か!

夜は『晩酌TV』!ボクは、AM3時頃に寝オチしてしまったが、ジュンは朝までしゃべっていたようで、寝室に来た頃にはベロンベロンに酔っていた。無理はさせないように見張ってるつもりが…激しく後悔

2010/12/04
休日。ジュンが起きない…朝まで呑んでたので、午前中は仕方ないが昼過ぎても起きないのはおかしい…というか、声をかけても反応が薄い。水も飲まないし、出前でとったラーメンを食べるよう言っても「食べれない…」とのこと。夕方になってもそんな調子なので、さすがにヤバいか?病院に連れてった方がいいか?と考えてたら、やっと目を開けまともな応対ができるようになった。それでも具合が悪く、結局ビロンビロンに伸びたラーメンを3回にわけてマグカップで与え、どうにか夜には復活した。ホント、呑み過ぎて再入院とか勘弁して欲しい…

そんなこんなで2人して丸1日ベッドにいたので、どっか出掛けたくて夜中にTSUTAYA行ってDVDを借りまくってきた。んで、DVD『南極料理人』鑑賞。細かいオモシロエピソードを若干わざとらしいくらいのシュールな感じでまとめてある、実話原作を基にしたコメディ。最後もキレイに回収される小細工があったりして、観後感がすごく気持ちいい。爆笑シーン連発!みたいな作品ではないけど、他人に勧めたくなるような雰囲気がある。ファブリーズのCMでピエール瀧の奥さん役やってる人が、そのままな感じで奥さん役やってるとこが個人的見所。



2010/12/05
休日。今日も1日基本的に安静に…午後に家の掃除をして、夕方から外出…義父に退院の報告をし義母の仏壇に手を合わせた。久々にすき家で牛丼…半分しか食べさせなかったが、ジャンクフードに飢えていたジュンは大喜び。帰宅後、DVD『マイマイ新子と千年の魔法』鑑賞。噂通り物凄く面白かった。観終わっても頭の中で物語りが続いちゃって止まらない!みたいな感じ。でも…続いてった先の物語は、あまり明るくない未来だった。貴伊子の父が勤める会社は倒産するし、引っ越していったタツヨシはチンピラに成り下がる…そんなタツヨシと父の大学で歴史を学ぶ新子は、街で再会し恋愛関係になるが、互い解りあえず傷つけ合うだけの悲しい恋に終わる…みたいな



2010/12/06
朝7時起床、定時出勤定時退勤。帰宅したら、見舞いに来てくれていたなおなおがちょうど帰るとこだった。久々になおなおに会えたジュンはテンション高くはしゃいでいたが、腹減ったからと白飯と適当なおかずで食事をはじめたボクと一緒に、明太子と唐辛子和えのネギを白飯にのせて食べだした。「おいおい、食事制限で刺激物は止められてるでしょ?」と注意し、どうにか半分でやめさせたが、思えばこの時から何かおかしかった。買い物に行き「さっきは明太子食べられなかったから、好きな刺身を買っていいから」と言うと喜んで魚と貝を選んでいた。貝も消化悪いが、少量なら明太子よりはマシだろう…

帰宅してDVD『Julie & Julia』鑑賞。1970年代に活躍したTV料理ショーの破天荒なおばさん司会者のレシピ本に掲載された全レシピを1年かけて再現するというチャレンジをブログネタにしたブロガーの話。おばさん司会者と自分の人生を重ね合わせたりして、良い話風にまとめているが全然…主人公の食事や料理に対する愛情が感じられず、ただ数をこなすゲームをしている様で微妙。ブログに関しても、デジカメ持ってるくせに写真掲載しないとか、読者から自宅に色々プレゼントが贈られてくるとか、リアルさがなく実話を基にしてるってホント?って感じ。

映画見る方に気がいってて、ハッと思ったらジュンがソーダで焼酎割って呑んでる!炭酸も食事制限で控えるように言われてるのに…しかも、今日買ってきたマテ貝を全部食べちゃってる!慌ててグラスを取り上げ「ダメでしょ!」と叱るが、映画見終わった頃に「お腹…痛いかも」とうずくまる。おいおいおい!と怒鳴り罵り、慌てて横にさせ、寝室のストーブをつけ、風呂は今日はいいからとベッドに運ぶ…泣きたい気持ち。食事制限のストレスは小さいけど、確実にある…そして、何かをきっかけに決壊する。ダムから溢れた水は自分で自分を傷つける。でも、そんなところまで本人に完全管理させるのは酷だ…もっとボクが注意すべきだった。



2010/12/07
朝7時起床、定時出勤。昼はジュンが心配だったので帰宅して一緒に食事。定時退勤。DVD『かいじゅうたちのいるところ』鑑賞。見終わってから色々考えさせられる作品…いや、映画の内容というより原作の解釈の仕方や着ぐるみかいじゅうたちはアレで良かったのか?みたいな事を…でも、CGならいいかと言えばそんな事ないだろうし、アニメならいいかと言えばそうでもないし…絵本のままで良かったんじゃない?っていうのが一番ピンとくるかもしれないけど「それを言っちゃあ~」だし。変な話だけど、映画自体よりも子供と一緒にこの作品を観てきた両親がブログとかで「うちの子、こんな反応してた」みたいな文章をいくつか見かけたんだけど、それらが秀逸だった事を思い出した。映画って気まぐれな鏡のようなもので、時に不思議な場所を照らしたり、おかしなものを写したりする…鏡の前に立っているのは、いつも自分自身なのに



 
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  1. 2010/12/23(木) 12:12:12|
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超(通常)能力

2010/11/24
朝7時起床、定時出勤少々残業。昼間、やはり子宮が痛むとジュンが言うので病院に電話をかけさせた。すると「明日、診察に来てください」とのこと。「今日診察してもらえないのかな?」「わかんない…もう一度電話して聞いてみる」と再び問い合わせるが、極端な出血とかないなら明日でも大丈夫との事だった。明日会社を休む為、ちょっと残って仕事のケリをつけた。

千葉の両親からダンボール箱いっぱいの食料が届く。サンマの煮たやつとか、自家製チャーシューとか…まだジュンは家事できないし、自分で食事作るのも大変だったので助かる!さっそく、夕飯から食べまくった。

2010/11/25
会社を休み病院へ…相変わらず激込みの駐車場。朝から「痛い痛い」と言っていたが、診察してもらい子宮口が塞がらないよう入れていた管を取り出したら、あっさり治ったらしい。院外薬局で抗生物質をもらい、入院前から気になっていた病院前の洋食屋で昼食。満腹になってはいけないジュンは半分しか食べられなかったが、術後初めてのハンバーグ(好物)を食べる事ができて満足していた。帰りにアーケードでショッピングでもさせてやりたかったが、さすがにまだ歩き回るとこまで元気にはなってないので断念。真直ぐ帰宅。

2010/11/26
朝7時起床、定時出勤定時退勤。夕飯は、温かい蕎麦に実家から送られてきたニシンの煮たのをのせたニシン蕎麦。これがなかなか美味しい。いままで「何故ニシン?」という程度の気持ちでいたが、これは所謂昔のチャーシュー麺なんだなと思った。味が濃くて脂のっててウマい

2010/11/27
休日。昨夜の『晩酌TV』で飲み過ぎて二日酔い…だったが、昼過ぎには復活。買い物に行き、回転寿司。そして刺身だの白子を買い漁り、夜は再び『晩酌TV』

2010/11/28
休日。1日寝室で安静にしていた。ジュンが退院してきてからズッとおでんを作り続けている。食事制限で一番気をつけないといけないのが“油と繊維”なので、おでんのメインである練り物や煮込まれ柔らかくなった大根はOKなのだ。ボクが会社に行ってる昼食時でもガッと温めバッと食べれるしね…ただ、問題はジュンがあまりおでん好きじゃないってこと。結局、自分でほとんど食べる羽目に…

2010/11/29
朝7時起床、定時出勤定時退勤。ジュンが昼間、庭に出て青いまま冬を迎えてしまった可哀想なミニトマトを摘み、ピクルスを作ったという。退院してから、ほとんどキッチンに入らなかったがついに…ついに、そこまで回復したか!という感じだ。嫌いながらも、どうにかこなしてた洗い物(洗濯と料理は嫌いでない、掃除と洗い物は苦手)から解放される日も近いかも?

2010/11/30
朝7時起床、定時出勤定時退勤。昨日に続き、今日も昼間キッチンに立ち色々料理してくれたとのことで、帰宅するととても得意気に「さあ、食べなさい」と夕飯を並べてくれた。ありがたい…3週間以上ぶりに妻のまともな料理を食べ安堵。やはりこれが一番落ち着く。後は、昼食の愛妻弁当も何とか年内に復活してもらえたら嬉しい。

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  1. 2010/12/20(月) 17:17:17|
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退院

2010/11/19
朝7時起床、定時出勤。午前中、ジュンからメールがあり無事本日中の退院が決まった。うおっふと思い、会社に早退願いを出す…どうにか15時までに仕事を終え、ジュンを迎えに…自宅から病院まで1時間ジャストくらい、今までで一番早く着いてしまった。病室ではやはり、おばちゃん達が喜んでくれつつも別れを悲しんでくれた。2週間分のジュンの荷物を抱え、二人で皆に頭を下げ病院を後にする…もう暗くなった街の冷たい空気を大きく吸い込み、ジュンが「ああ~娑婆の空気だ!」と満面の笑みで言う。まだこの後、手術で切り取った患部の内容如何では追加治療の可能性も有り得るので、両手放しでバンザイするわけにはいかないが、それでも何か一区切りという…ハッキリとした分岐点をそこで感じた。この隣県の病院に転院するかどうか悩んでる時から、心配してた通院・手術・面会…そして生活、どうにか力を合わせ乗り切る事ができたのだ。「おつかれさま」とジュンに、そして「がんばってくれて、ありがとう」という気持ちで一杯だった。

というわけで、子宮頚部摘出術(トラケレクトミー)の治療入院として我々の知るうち(色んな方のブログや本の体験談を読んだ限り)では最短の12日間という日数で、無事退院となりました。声をあげ我々に関わってくれた多くの友人・知人、我々のブログやtwitterを目にしハラハラドキドキしてくれた皆様にも「おつかれさま」と言いたい。ありがとうございました。

この急展開の退院については、twitterでつぶやいたりせず帰宅後『晩酌TV』でジャジャーン!て…まあ、早い時間だったので「ジャジャーン!…あれ?」って感じではあったけど、とにかくサプライズでの復活を遂げ、しかし何時間も配信できる程の体力もないので、早めに切り上げ、久々の自宅ベッドを満喫させたのでした。

2010/11/20
休日。ゼニも含めて家族3人1日中寝室で過ごした。思った以上にジュンは何も出来ない(というか、とにかく安静にしてなくてはいけない)ので、食事の用意から「トイレ行って来たら?」とか「もう1枚着たら?」とか、早く退院してきたなりの世話が大変であったが、こうして家にいてくれるだけで嬉しいので苦にはならない。隣県まで面会に行くのも、もうしばらく勘弁して欲しい…

退院前日の食事指導で説明されるまで詳しくは知らなかったんだけど、開腹手術の後は意外と食事制限が多い。今まで何十年とかかって安定してたポジションにいた内臓達を動かすのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、特に長い腸は脂や繊維質を多くとり過ぎると腸閉塞をおこしやすいので、野菜全般から海草、消化に悪いコンニャク類や腹が膨れる炭酸飲料、揚げ物はもちろん肉も「なるべく、ささみなど脂の少ない部位を…」との事であった。意外だったのは、アルコール類で退院しても一ヶ月くらいは控えるよう言われるかと思いきや「特に制限はないですが、飲み過ぎないように」と、しかも「少量でしたら、内臓の働きを促進させるので、もしろウエルカム」みたいな事すら言われ、夫婦して驚いた。

とりあえず、退院初日はうどんやおでん、夜は脂少なめの刺身類なんかを食べながら『晩酌TV』を、昨夜に引き続き“病み上がりなので早寝バージョン”でお送りした。

2010/11/21
休日。意外と緊張感のある自宅療養生活…いきなり強い痛みを感じて、痛み止めの薬を飲んだり、腹筋使えないので気張れずうんこが出なくて腹が張るとアチコチ痛くなるってんで、肛門付近をマッサージしてやったり…その合間に、メシを作り、洗い物して、洗濯干して、掃除機かけて。夜は、具を柔らかく煮たブイヤベースを作ってあげたら、たいそう喜んで食べてくれた。たくさん食べて早く元気になって欲しいが、満腹は絶対厳禁なので微妙なとこ…「いっぱい食べちゃダメ」と言われると食べたくなり、「食べていいよ」と言われると食べなくなるという“天の邪鬼”を持ってるジュンは、普段絶対食べないようなものにまで思いを馳せ「ああ、腹いっぱい食いまくりたい…」と一日中ボヤいる。

風呂にもまだザブンとは入れないので、湯舟で四つん這いになり腕と足だけ湯につかり、背中からボクが湯をザバーザバーとかけてやっている。「風呂に入るぞ」と言っても、湯に浸かれないからか憮然としてるが、「河童浴だぞ、背中の甲羅に湯かけてやるぞ」と言うとキャッキャと喜びながら浴室に来る。入浴後も身体を冷やしちゃいけないので、風呂る前に洗面所と寝室の暖房をつけ、とにかく家中アチコチ暖かくせねばならない事も大変だ。大変だけど、こうして家で世話できる方が嬉しい。

2010/11/22
朝7時起床、定時出勤定時退勤。ボクが会社に行ってる間のジュンの食事にと、煮魚とタイ風おかゆのスープを作っておいた。夕飯は、スーパーで買ったちらし寿司。元々、夫婦して“お菓子”とか“デザート”とは無縁の生活だったが、退院後のジュンの食事制限の余波からか随分食べるようになった。特に、せんべいは何種類か食べてるうちに人気銘柄の理由などが理解できたりして楽しかった。あと、せんべいの品揃えもスーパーによって随分違うのね…今までは、どこも似たような棚構成なのだろうとしか思ってなかったが、意外にせんべい愛のある棚、ない棚が明確にわかるものなのだなと…いや、おもしろい。

2010/11/23
朝7時起床、定時出勤定時退勤。今日はせこなおさんからジュンへの贈り物が届いた。本職のぬいぐるみ作家であるせこなおさんが、オリジナルで作ってくれた“おかあやんカッパ”のぬいぐるみ!素晴らしかった。もちろん『品物』としても「うれしい」だし「ありがとう」だけど、何かこういう…ホントに「病気の友達に自分が何できるだろう?」ってとこを考えに考えてくれたんだな…っていうのが、凄く伝わってきて「一緒に戦ってくれたんだな」と思えて嬉しい。

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やはり、大きな病気になった人と向き合うのって簡単な事じゃないと思う。でも、腹を決めて本気で突き詰めれば、お医者さんでも与える事のできない“病を忘れられる一瞬”を作り出す事ができる…と、ボクは感じている。苦し紛れの「がんばってね」や、無責任な「きっと大丈夫」という言葉の先の『ツライ思いしてる人に対して、何も言ってあげられる事、やってあげられる事なんて無い』の、さらにズーーーッと奥に、ソレはあって、そしてソレは患者に伝わるもののような気がする。友達はおろか、家族でさえ逃げてしまう事の少なくない“大きな病気になった人と向き合う”をしてくれた友達の事を、ジュンは絶対に忘れちゃいけないと思うし、ボクも絶対に忘れずにいようと思う。

昨日からジュンが「子宮に違和感が…チクチク痛む」と言ってるのが、気になる。再入院という文字が頭をよぎり、夫婦して震えて寝る。

 
  1. 2010/12/14(火) 12:12:12|
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退院前夜

2010/11/13
休日。午前中からジュンの面会に行く。脇腹から体液排出用に出ていたドレーンを抜き、いくぶんスッキリしたとの事。抜いたら、食事してもお腹痛くならなくなったらしく、昨日より食べている…たぶん、腸に干渉してたのかな?看護士さんの許しが出たので、洗面所で髪の毛も洗ってあげた。いいかげんカユかったらしく喜んでいた…メシ食わせたり頭洗ったりちょっとした介護気分。悪い気はしない。土曜日は、病院内のコンビニが早く閉店してしまったので、夕飯時に病院前のスーパーまで行ってカラアゲ弁当を買ってきた。ホントは、ハンバーグ弁当にしたかったが、ハンバーグはジュンの好物なので食べたがるだろうと思いカラアゲで…しかし、思った通り油ギトギトでヤバいシロモノだった。一緒に食事し面会終了時刻までいて、帰宅。

2010/11/14
休日。午前中からジュンの面会に行く。昨日の弁当のマズさがこたえ、朝から自分用弁当を作り持参した。しかも昼食用サンドイッチと夕食用の肉野菜弁当の2種類!ジュンと同室のおばちゃん達から誉められ、照れた。だって、コンビニ弁当…ゲロマズなんだもん。この日、ジュンはシャワーを浴びサッパリしたようで、かなり機嫌良かった。しかし、当然といえば当然のように痛みがあり、下腹部がかなり浮腫んでいたのが発覚したりして、術後のバタバタは今だ続いていた。ジュンが「見たい」とメールでリクエストしてきたDVD『食堂かたつむり』を二人で見たりした。一緒に食事し面会終了時刻までいて、帰宅。

2010/11/15
朝7時起床、定時出勤少々残業。今日は、ジュンが入院して初の“面会休業日”だった。なので、たまった仕事をみっちりこなし、家の掃除機かけなど出来ずにいた事をバタバタこなした。疲れた、すんごく疲れた…が、看病疲れで倒れる程マジメな性格ではないので、もろもろ適当にこなした。ジュンは立派なうんこが出たらしく喜びのメールがきた…うんこひとつ、おしっこひとつにしても、順調に回復してるであろう証なので嬉しい。

2010/11/16
朝7時出勤、定時出勤。早退して午後からジュン面会。今日はポチくんがジュンの見舞いに来てくれた。3人でシラフで話すのは珍しい…何となく皆、手許にビールやタバコがないのが違和感。でも、くだらなくも楽しい話ができて、ボクもジュンもいい気分転換になった。ポチくんありがとう!この日も自作弁当持参…同室のおばちゃん達が「今日は何弁当なの?」とまで聞いてくるようになった。一緒に食事し面会終了時刻までいて、帰宅。

2010/11/17
朝7時起床、定時出勤少々残業。今日も“面会休業日”…面会に行かない日は、ほとんど一日中メールで会話している。この日は、ついに始まった導尿訓練について多く話してた…手術直後からカテーテルが刺さってるにも関わらず尿意があったので、もしやと思ってたが、やはり最初から自尿がしっかりと出たらしく、しかし治療方針としてカテーテルを抜いた後はしばらく導尿訓練をせねばならず、その事についてモヤッとしているようだった。下腹部の浮腫みは自己マッサージでかなり改善され、一時的に増えた体重も落ち元通りになったとの報告があった。

2010/11/18
朝7時起床、定時出勤。早退して午後からジュン面会。ここ数日、ジュンの「帰りたい帰りたい」メールが増え、ボクもゼニもいい加減寂しくなっていたので、いつもジュンの枕元にいるカエルのヌイグルミを病院に連れて行った。前回の入院時は、これを連れてったらその日のうちに退院できたのだ。カエルを見たジュンは何か気合いが入ったようで「ちょっとアタシ、退院させてくれって説得してくる」と部屋を飛び出した。実際、ジュンの回復は早く順調だと担当医に太鼓判を押されていたので、うまくいけば今週末の退院も夢ではないだろう…ジュンの後をついて行くと、たまたまナースステーションにいたジュンの治療チームの女医さんがいたので、詰め寄る「もう退院したいんですけど!」「…いいですよ」「え?」「いつ退院したいですか?」「え?…きょ、いや明日で」「わかりました。じゃあ、担当の先生方や看護士さんに掛け合ってみます」「あ…はい。お願いします」そんな感じで、あっさり明日の退院できるかもという展開に!

病室に戻り「やった~退院だっ!」とジュンが叫んだら、同室のおばちゃん達が「ウソ?ウソでしょ?来週でしょ?」「マジで?決定なの?」と慌て、何か…変な話だけど、ホントにションボリしていた。自分達の娘くらいの年齢であろうジュンが、自分達と同じ病気に苦しみ頑張ってる姿は、何か励まされるものがあり「早く良くなって退院して欲しい」という気持ちと共に「もう少し一緒にいたい」というような気持ちもあったのではないかと思う。結局、看護士さん側の「導尿訓練の日数が足りない」という懸念はあったらしいが、それも「家でちゃんと練習しますから!」とジュンが押し切り、「今晩と明日朝の導尿訓練の結果が良好だったら、明日退院」という条件付きでの退院許可が出た。一緒に食事し面会終了時刻までいて、ドキドキしながら帰宅。1ヶ月とか…早くても3週間の入院と思ってたが、もう帰ってこれるなんて…嬉しい!でも、ホントに大丈夫なのだろうか??

この日、今回の入院で2冊目の『おかあやんTIMES』をジュンに手渡した。協力してくれた友人達に感謝!今回は、さすがに面会と家事と仕事の両立がキツく、『おかあやんTIMES』も2冊が精一杯だった。

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  1. 2010/12/13(月) 17:17:17|
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手術翌日

2010/11/11
夜中に何度か目を覚まし、携帯に着信がないか確認する。集中治療室の看護士さんに携帯電話の番号と「今夜は、どちらにいらっしゃいますか?」と確認された時にも(やはり…)という思いはあったが、闘病関係の本やブログを読んでいても、大きな手術の後は容態急変したりする事が少なくないので、気持ちのどこかで「まだ安心しちゃダメだぞ」という思いがザワついてる。

朝7時起床、どうしてもの仕事があったので、1時間だけ会社に出た。無事に手術を終えた事も報告。高速を飛ばし、面会へ…連絡は無いので問題発生してはいないだろうが、ちょっとドキドキする。病院につくとすでにジュンは集中治療室を出て四人部屋に戻っていた。顔を見てやっと「ホッ」とする…が、まだ管だらけだし本人もヨボヨボなのでカーテンは閉め切られている。昨日より意識はハッキリしているが、麻酔が切れてきて痛みが強くなってるらしい。「やはり痛むか?」と聞くと顔を歪めながら「…痛い」と呻く。

術前から判ってはいた事だが、術後2、3日は痛みが大きいので患者は常にイライラしており、家族はそのすべて受け入れいなしてやらなければならない。「痛い」「痛いよ…助けて」「あ~もうヤダ」という声を一日中聞き続け、「どこが痛い?」「さすってやろうか?」「痛み止め切れたのかな?看護士さん呼ぶか?」と返す。もちろん患者は少しも悪くない、ホントに痛いのだからしょうがない…家族も一日一日良くなる事だけを信じ、そして身体じゅうに繋がれた管が一本づつ減る事に心から喜び…堪えるしかないのだ。でも、共に堪えているからこそ小さな回復が自分の事のように嬉しくもある。

この日は看護士さんに促され、「痛い…痛い…」と呻きながらベッドから立ち上がり、その場で足踏みまでさせられていた。術後なるべく早いタイミングで少しでも動いておかないと内臓同士の癒着や腸閉塞になりやすい為仕方ないといえば仕方ないのだが、辛そうである。早くも夕飯から食事が運ばれる…まだお粥よりゆるい重湯と汁のみの味噌汁だが、口元に運んでやると少し飲んだ…が、胃腸が動くと痛みがくるらしく、スグに「もう、いらない」と眉間に皺を寄せた。

面会時間終了のアナウンスを聞いてから病室を後にし、帰路…体が段々道を覚え運転も楽になってきた。行きは昼間なので紅葉を眺めながら気分良く走っているが、帰りは真っ暗な山形道をトラックに煽られつつの運転なので「気分良く…」とはいかない。

山形市内に入り、山岡家でラーメンとチャーハンのセットを食べた。カロリーオーバーは承知の事だが、自分へのささやかなご褒美のつもりだ。結局、病院帰りに外食というのはこの日一日だけだった…正直、入院前は毎日外食なんじゃないか?くらいに思っていたが、ゼニがひとりで留守番してる事を考えると一秒でも早く帰ってやらねばいけない気がして「ゼニを撫でながらウドンでも煮るか…」という気分になってしまうのだった。めったに行く事のできない仙台の有名ラーメン店で夕飯…とか、たまにはドン・キホーテで買い物でも…なんて考えてたけど、一度もできなかった。気持ちにそんな余裕は無かった。いつ何時、病院から呼び出しがあるかもわからないので、酒も退院するまで一滴も飲まなかった。

2010/11/12
朝7時起床、午前中出社。午後から病院へ面会に…ジュンは、術後2日痛みや管に繋がれてる不快感でほとんど寝れてないそうで、機嫌悪し。iPhoneに手は届くが、まだ見る気にも打つ気にもならないと言う…元気な時は「右手に装着してるのか?」というほど片時も手放さないので、こういう光景を目の当たりにすると(相当具合悪いのだな…)と実感する。twitterにはボクが手術無事成功の代筆報告をしたが、ブログではまだ結果を知らずに祈ってる人がいたので「ひと言、ボクからコメントしとこうか?」と聞いたが「いい!自分で書くから」との事。

昼前に看護士に促されナースステーションまで歩いたそうだ。管も減ってはきたが、まだ多い。夕飯から五分粥になったが、やはり食べると胃腸に不快感があるらしく殆ど食べられず…とても心配だ。明日は土曜日で午前中から面会に来れるから、隣で一緒に食事してみようと思う(健康不健康関係なくジュンは普段から1人だとあまり食べない)。面会時間終了のアナウンスを聞き、帰路についた。

実は、ジュンの入院前後にヤフオクで中古ギターを計3本も衝動買いしてしまった。ジュンは随分怒ったし、晩酌TVでも皆から罵られたけど、自分はしょうがないと思ってる。ボクはボクを責めない…そんなに賢くも立派でもない、どちらかというとバカな男だもの。酒や女や博打に逃げなかっただけでも上出来だと思ってる…「落ち着いたらちゃんと処分しようね」と言って、自分の頭を撫でてやりたい。もし、ボクと同じような境遇の人がいたら、このボクの愚行を話し「あなたも自分にご褒美買ってやりな」と薦めよう。自分にお金を使って、ひと段落ついたら又がんばって働いて摂生すればいいんだもの…ただし「治療費に影響しない程度に」もつけ加えなきゃな。

大きな病気と戦う患者はボクサーだ。自分を突き詰め、自分を奮い立たせ全身全霊をかけスポットライトの下で、大きな歓声に包まれながら戦っている。家族は観客席で…身をすくめ赤の他人と並び、リング上の戦いに心臓が破れるような思いをし、時には目を背け、時には息を止め、ただただ患者の無事を祈っている。周囲の人から労いの言葉があっても「あなたも頑張ってね」「ちゃんと食べてね、あなたが身体壊したら大変だから」…どれも真直ぐ自分に向けられたものではなく、患者にかけられた言葉の“PS”として添えられる程度…もちろんありがたいが、寂しさがないと言ったら嘘になる。なかには悪気なく「あなたがしっかりしないとね」「せめて精一杯癒してあげてください」という、何か咎められてるかのように感じる言葉を投げかけてくれる人もいる。

手術から6日後、抜糸(というかホッチキスだったけど)があった。抜いたホッチキスをもらっといてくれとジュンに頼んだら「何で?」と言いながら、2本だけもらっといてくれた。矢吹丈が試合後、葉子に血まみれのグローブを渡したように、ボクにとっても“一緒に試合で戦った”という実感が欲しかったのだ。励まし続け、多くを許し、共にストイックな生活を経て一緒に戦ったのだという実感が…

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  1. 2010/12/08(水) 12:12:12|
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手術当日

2010/11/10
午前6時前、まだ薄暗いうちに家を出る…朝イチに追加の術前検査をしてから手術なので、7時半には病院に到着しないと「奥さんはもう手術室に入られましたよ」なんて事になりかねない。高速を飛ばしていると進行方向である東の山並みから朝日が昇り、空に薄くかかった雲や森を覆う霧を透かし、淡い濃淡が幻想的な光景を作り出す。映画『フォレスト・ガンプ』のワンシーン、アメリカ大陸を走り続ける傷心のフォレストが美しい朝焼けに見蕩れるシーンを思い出す。走り終えたフォレストは再会したジェニーにこう言われる「そんな素敵な景色、私も見てみたかった…」いつもは挙動不審なフォレストが、ジェニーを見つめ断言する「君も見てたよ…いつも僕のそばで一緒に」。まさに“Life is like a box of chocolates, you never know what you are gonna get.”ホントに人生、何が起きるかわからない。「何でこんな事になっちゃったんだろう?」がんが発覚してから、ジュンが何度も涙しながらつぶやいた言葉だ。でも、そんな辛い思いを払拭できるチャンスにやっと今日触れる事ができる。それを掴めるかどうかはわからないが、とにかくこのスタートラインに立つまで半年近く苦しみ続けたんだ…どうか、高望みはしないがどうかこれ以上ジュンを苦しませないで欲しい。

予定通り7時半に病院到着、ジュンはさすがに緊張してる様子だったが「ブログ用に手術前の写真撮っといて」と言うとベッドから立ち上がり、笑顔でピースサインを作った。病室を出る時に、同室のおばちゃん達から「大丈夫だから、がんばってね」「早く帰ってきて、待ってるわよ」と声がかかる…がん以外の患者さんも多かった以前の病院の病室とちがい、今回の病室はジュンより重いがんの患者さんが多い。向かいのベッドの人も隣のベッドの人もジュンが入院する数日前に、ジュンと同じような大きな手術をしている。そういう人達の言う「大丈夫だから」は頼もしい。検査を済ませ、看護士さんに車椅子で手術室へと運ばれる。「それでは、ダンナさんはここまでで…」大きな鉄扉の前で看護士さんが言う、ジュンの手を取り何か口にしようとするが、大袈裟な言葉は悲愴感を煽るようで憚られた。「いってくるね」ジュンが細い声で言う「うん、いってこい」うわずって応える、看護士さんが微笑み車椅子は動きだした…ずっと後ろ姿を眺めていたが、ジュンは一度も振り返らなかった。秋の大一番から背を向けず、敵のマワシをがっちり掴んでやるぞと集中してるようで頼もしかった。

んで、付添い家族は病室のあるフロアの食堂で手術が終わるまで待機する事になってるのだが、これが苦しい時間なわけだ…今まさに階下で自分の女房の腹が捌かれているのに、自分自身はそれに一切携われずに放置されている。ドラマとかで、孫が無事産まれるかどうか?という窮地で、いきなり井戸の水をバッシャン!バッシャン!と、いわゆる水垢離するジイサンがいたりするが、あの気持ちがよくわかる。ホント…何か自分にも試練をかせたい!できれば滝とかに打たれたい!そんで「ワシも頑張ってるから、お前も諦めるでな~い!」とか絶叫してたい!むしろ、そゆことしてた方が明らかに気が楽。そんな事を思いながら、やけに強い陽射しの中、窓の外を流れる雲を眺めジットリと脂汗をかいていた。

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時間潰しにと持ってきた本やPSPを手にする気にもなれず、頭の中では相変わらず「最悪の結果でも→平常心でいよう→あれ?最悪って…」がループしていた。あまり辛かったので、おそでさんに「手術はじまった」メールを出したら状況を察して、気を紛らしてくれるようなバカ話メールがガンガン送られてきた。これには助かった…結局、手術終わるまでおそでさんから20通以上もメールが届き、こそでさんが最近描いたというマンガの話では笑い、「そろそろお昼だから」と言われるがままにメシを食い、言われるがままに水分補給もした…マジおそでさんリスペクトである。食堂にはボクと同じように手術中の患者家族がおり、同じようにジワジワと脂汗をかきながら待機していたのだが、皆ボクより後に来ては、ボクより先に看護士さんから声がかかり集中治療室へと呼ばれて行った。結局、気がつけば自分ひとり…

手術はちょうど5時間で終わった。同じ手術を受けた方のブログを複数見る限り、みなさん8時間くらいかかってるようだったが、それらの記事が書かれた数年前から技術が進歩したのか、予定通りで5時間との事であった。手術着のまま駆けつけて下さった執刀の先生から別室で説明を受ける。「無事予定通り、子宮を残せました」フハ~ッと魂が抜け出るような溜息がもれる。「リンパ節への転移もなくセンチネルリンパ節生検も予定通り行えましたが、術中結構リンパ液が多く漏れていたので後遺症がゼロというわけではないでしょう…そこは覚悟しておいてください」切り取った子宮頚部の写真を見ながら「摘出部の切除面は前後共に陰性でした。病変の解剖結果は…これからホルマリンに漬け固定させてからなので、数週間先になります」大きな疲労を漂わせながらも、ダダッと説明してくれた。ホントは先生に飛びつきチュウでもしたかったが、浮ついた気持ちを押し殺し「ありがとうざいます。おつかれさまでした」と頭を深く下げた。こういう事を書くべきではないかもしれないけど、こういう瞬間はやはり執刀医が神か仏に見えてしまう。ありがとうございます。無理を聞いてくれてホントにありがとうございます。

集中治療室でジュンと合う…顔が真っ青で一瞬ドキッとする(後から看護士さんに聞いたが、顔にも消毒液が塗られていたので青く見えたらしい)。こうなるとわかってはいたが、やはり何本もの管につながれた姿は可哀想だ…両手に点滴、酸素マスク、上半身アチコチに心電図や血圧測るようなコード、両足には血栓防止の為のマッサージ機、背中には痛み止めの薬剤を流し込まれ、股間には尿管、そして両脇腹からは術部の余分な血液やリンパ液を排出するための太いドレーンが2本…人工呼吸器をつけてたからか、唇は軽く腫れ血も滲んでいるようだったが、こーいうの地味に凹むので本人には黙っておく事にした(しかし1時間後くらいに看護士さんに言われ気づいてしまった)。

「…オカアヤン」と声をかけると、目を薄く開いてかすれ声で「子宮は?子宮…残せた?」と聞いてきた。「うん、大丈夫だったって」と応えると深く安堵の溜息をつく「良かった…」意識は意外としっかりしており、声は小さいが受け答えも安定している(が、麻酔が残ってるので会話が途切れるとスグ白目むくのが怖かった)。先生の手術結果説明(リンパ液漏れによる後遺症の可能性については、この時には話さなさず翌日伝えた)や、手術中twitterやブログで皆が励ましていた事を伝え、ジュンからは術前後の様子などを聞いた。結局この日は、ジュンが「まだ帰らないで」とゴネるので面会時間を越え遅くまで一緒にいた(手術当日は、多めにみてもらえるらしい)。

義継父、義種父、千葉の両親にも無事手術が終わった事を報告し、帰宅。夜中に容態急変とか怖いので、iPhoneを握りしめてベッドに倒れ込んだ。

 
  1. 2010/12/03(金) 20:20:20|
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手術前日

2010/11/09
午前中は仕事、一旦帰宅しゼニのために部屋をヒーターで暖め、ジュンに頼まれた野菜ジュースなど持って病院へ向かう…前二度の入院は自宅から20分という近距離の病院だったので、一日の仕事を終えてからでも十分面会に行けたのだが、今回の入院先は他県なので、高速道路を使っても2時間弱かかってしまうため面会に行くには、会社を半休せねばならないのだ。馴れない高速の運転、しかもこの10年間通勤以外の車移動は常にジュンを隣に乗せて…だったので、色々不具合が生じる。でも、まあそれも覚悟の上…じきに馴れる馴れる。

病院に着くと、ジュンは悲しそうな顔…昼過ぎに受けた検査がかなり痛かったらしい。「今までで一番痛かったよ…」と言ってヘコんでいる。明日の手術に備え、すでに食事は止められ飲み切らねばならない2リットルの下剤を目の前にドドーンと置かれ、腕には手術後まで刺しっぱなしになる点滴針が2本入り、がっちりとテーピングされている…何から何まで痛々しい。

がんに限らないのだろうが、家族が大きな病気をした時に感じる第一の苦しみは『痛みをシェアする事ができないこと』なのじゃなかろうかと思う。例えば、家事をたくさん抱えて大変そうにしていたら、皿洗いを手伝う、灯油入れを手伝う…具合悪かったら帰宅時に買い物してやる…美味しいものがあれば分け合い、美味しくないものがあれば押し付け合う。日常の中で普通に行ってきた“楽しさも辛さも分け合う”という行為が、全くできない。これが驚く程歯痒い…検査も点滴も下剤も、全部ひとりだけで負わねばならず、自分はただ隣で苦笑いを浮かべる事しかできないのだ。今すぐ、目の前の下剤を飲み干してやり「ほら、下剤はボクがやっつけたから点滴はキミが頑張りなさい」と言ってやりたい。もしくは「キミは、明日手術だという不安と戦ってなさい、検査も点滴も全部ボクが引き受けよう」「自分の病気と向き合ってるだけでキミはもう充分だ。手術はボクが…」全部できない!これ全部できない!何もできない!一番大事な家族が苦しんでるのに何もしてやれない!痛みも苦しみも自分には一切与えられず、ただ痛み苦しむ家族を見守る事しかできない…

そんなことを内心思いつつもベットの隣のイスに腰掛け、いつも通りのどうでもいい話をする…なるべく平常心を装って。全身麻酔による8時間の手術…最悪の事態も頭をよぎる。もちろんジュンも頭の中は不安でいっぱいだろう…でも、お膳立てはできてるのだ!手術前にできることは全てやったんだ!後は、手術室に入るその時まで、なるべく平常心で…冷静にいよう。だから、いつも通りに…どうでもいい話をポツポツとしては、たまに小さく笑った。

19時半、面会時間終了の館内アナウンスが流れ病院を後にする…暴風雨の中、高速道路を飛ばす。明日、たとえ最悪の事態になっても取り乱さずにいようと思う…取り乱さず、目を覚ましたジュンにありのまま伝えようと。たとえ、リンパ節に転移が見つかり子宮を摘出してしまっても、がんが予想以上に進行しており何も出来ずに手術が終わっても、冷静に「打つ手はまだあるんだから、今はお腹の傷を癒すことに集中しよう」と言おう。いや、まてよ…最悪の事態は、心臓に持病をもつジュンが8時間の手術を乗り切る事ができずに…いやいやいやいや、ちょちょちょちょちょ…あわわわわわ…

結局、帰宅してからも「最悪の結果でも→平常心でいよう→あれ?最悪って…」のループを繰り返してしまい、寝つけぬまま朝を迎えた。

 
  1. 2010/12/02(木) 17:17:17|
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3度目の入院

2010/11/05
朝7時起床、定時出勤。昼飯は一旦帰宅してジュンと一緒に。定時退勤。夜は『晩酌TV』!ジュンの入院前最後の配信という事もあり、変なテンションではじまり夫婦喧嘩あり、涙あり、大団円で終わるというドラマチックな展開であった。

2010/11/06
休日。入院前のジュンに好きなものを好きなだけ食わすため、昼飯はモスバーガー。夕方、どうしても心配で山形まで来てしまったジュンの種父が義妹と共に少しだけ我が家に訪れた。新米30キロもいただいた。夜は市内の繁華街に出て、回らない寿司屋で刺身や寿司をつまみながら生ビールと燗酒!2軒目ではレバ刺し大盛り!3軒目ではギネス生とバッファローチキンウイング!腹いっぱいで深夜帰宅。美味しいものだけで満腹!幸せ!あ、いや自分のためでなくジュンのための贅沢!ジュンのため!

2010/11/07
休日。天童美術館で『赤塚不二夫展』を見物…目新しい内容では無かったが、ジュンに赤塚不二夫がいかにダメなオヤジ(いい意味で)かを伝えられたので満足。西バイ太助で寿司を食い(この日も引き続き、ジュンに好きなものを好きなだけフェア続行中)、電器屋でファンヒーターとゼニ用のホットカーペットを購入。米沢まで車を飛ばし、温泉&岩盤浴。帰宅後は、玉置さんが送ってくれたカワハギを肝和えと肝煮にしていただいた。ジュンの命令で久々にボクが包丁を握った…自分で言うのも何だけど、すんげえ美味しかった!新鮮な素材の地力や強し!

2010/11/08
今日からジュンの入院。朝イチに家を出て高速道路を飛ばし県外の病院へ…紅葉が美しくも悲しい。ジュンはそんな景色を眺めながら「行きたくねえ…」とつぶやいてる。入院手続きの窓口が混雑してて驚く、さすが大きな病院だけあって1日に何十人も入院するのな。どうにかこなして病棟へ…キレイな部屋、看護師さんも物腰柔らかく一安心。

ジュンの巣作りを手伝い、検診につきあい、執刀する先生と面談…ここで奇跡が起こった。我々が望んでいたのだが、最初の診察で「それは決まりで出来ないんですよ」と言われていた治療をやってもらえることになったのだ!というのも、どーしてもどーしても納得いかなったので、「何とかやってもらえる手はないものか」と悩みに悩んで、結局先生宛に手紙を書いて、そこにジュンが元々持ってる精神疾患の事と絡め「術後の生活が不安です」と説得したのが功をそうし、一転「やってみましょう」という展開に!驚きで胸が詰まるが、グッと堪える。

最近の大きな手術にまつわるキーワードとして『QOL(クオリティー・オブ・ライフ』という言葉を聞いたことある方もいるかと思うが、手術によって単に病気が治ればいいというものではなく、手術後の生活もなるべく後遺症のないよう、術前に近い生活ができるように、10年20年前だったら「疑わしい部位は全部切っちまえ!」だった手術法が「なるべく小さな傷で」「取り出すのも小さい範囲で」という方向性に現在なってきているわけです。そんで、この執刀してくれる先生はまさにその『QOL』にこだわって研究してる先生なわけなのよ。だから、その先生のある意味一番痛いとこを突かせていただいた…と、いやでもホントに我々にとっても、後遺症の可能性をひとつでも消せる可能性に賭けたい気持ちは強かったので、力一杯突っつき、まさかの結果を得る事ができたのだ。

ひとしきり説明を終えた先生が口にした「不安があったら何でも聞いてください。何でも説明します」の言葉に再び涙腺が緩みそうになる。前の病院での手術前、わからない事だらけの我々は本やネットで調べた知識を総動員し、手術前説明をしてくれた先生2名を質問攻めにした。が、先生達の口からでるのは言葉足らずな「その検査は必要ないです…大丈夫ですから」「そんなに心配するような手術ではありませんから」といった逃げ腰の解答…あげく我々の言葉を遮るように「いま急いで手術しなくても、例えば一年後に診察しても癌の状態は変わらないと思いますよ。ただ今回はあなた方が心配だという事なので、こうして急いで手術を行うのであって…」と、あくまで初期である事を確信したかの応対にモヤっとした事を思い出す(そして結果は初期癌ではなく、こうして大きな手術を行うことに…)。あの時の先生達に悪意を感じたとかいうわけではない。過剰に心配する患者(とそのダンナ)に冷静に対処しただけだと思うが、そういった事を踏まえても今回の「何でも説明しますよ」の頼もしさは、度を超えて胸に響いた。

打ち合わせが終わり、廊下に出てジュンと顔を見合わせる。「やったな!」笑顔がこぼれるが、これで手術成功が確約されたわけではないし、我々が望んでた治療もいくつかの検査をクリアせねば「当初の予定通りの術式に…」というのは念を押して言われている。もちろん手術してみてリンパ節への転移が確認されたら、残すはずの子宮も摘出されてしまう…そんな風に“悪い方へコマが転がる”可能性はまだまだ有り得るのだ。

とはいえ、急転直下のこの判断は飛び上がるほど嬉しい。ホントに、最初にこの病院での初診時に「それは決まりで出来ないんですよ」と言われてから「どうにか“特例”にしてもらえる手だてはないのか?」とホントに寝ても覚めてもズーッとズーッと考えていたのだ。もちろん金を積んでどうにかなるものなら、いくら払っても後悔はないと思ったし(結局ホントにそんな台詞を口にする事はできなかったが)、犯罪スレスレの手段も考えはした。でも、それら想像妄想を越え実際自分が打てた策は、誠心誠意自分の希望を文章に託す…という、手紙を書くという行為であった。そうして、それはこうやって何年もブログを書き続けてきた自分にとって唯一出来た“他人に気持ちを伝える手段”だったのだ。今こうして書いてるようにクドクドと思いのたけを書き綴り、そしてそれが先生の心に通じた。

同じフロアにある食堂という名の共有スペースで、ジュンと共に夕飯を食べ。ひとり山形の自宅へと帰った。ゼニを撫で、風呂に入りベッドに倒れ込んだ瞬間、寝入った。明日は午前中仕事で午後から見舞い…今はとにかく寝よう

 
  1. 2010/12/01(水) 17:17:17|
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